ただ、細野ビルを自分の代でほったらかしにしてしまっていたことに対して、そして濱吉に対しても自責の念から、ビルと対話しながら、手を入れるべきところには自ら手を入れ、残すべきところは、経年変化をそのまま残し、日々修復に努めていた。
職人に頼めば、すぐに終わってしまうであろう修復作業も、自らの反省の気持ちから誰にも触らせることなく、ただただ、ビルの存在を感じながら、もう一度細野ビルヂングを創っていった。
細野ビルに魅せられる人は、日に日にその数を増し、同年の6月6日、午後6時6分6秒にスタートした「六六展(ろくろくてん)」には、66人のアーティストが参加し(実際は69人まで増えたそうだ)、ビルから人が溢れる程の大盛況を博した。アーティストや作家の友人・知人は勿論、近所の人々や、道行く人までもがその熱気に立ち止まり、ビルに入って来るなど大勢の人々が訪れた。
その後、細野ビルは、ギャラリーとしては勿論、ファッション誌の撮影が行われたり、ジャズを始めとする音楽のライブが開催されたり、ファッションショー、展示会、個展など、アートだけではなく様々なカルチャーとサブカルチャーの発信基地となった。
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